05年02月06日 芝西久保巴町綺譚
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1 | 生まれ育った町,西久保巴町に行った。 現在,この地名は存在せず,虎ノ門3丁目あたりがその範囲となる。 地図内の赤で囲ったあたりが,当時の巴町。 |
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2 | 飯倉の交差点から神谷町方面をのぞむ。 さっきから右翼の街宣者がオレのあとをつけて来るのが鬱陶しい。 |
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3 | 神谷町の交差点手前にある八幡宮。 たしかここで七五三をしたはずだけど,もしかしたら勘違いかも。 虎ノ門病院近くの金毘羅様だったかな? よく覚えてね。 七五三のときの写真はこちら |
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4 | すでに廃校となっている鞆絵小学校。 ちなみに明治3年創立。 中には入れないので,敷地外から撮影する。 オレは同じ敷地にあった幼稚園に半年通っていただけ。 あんまり覚えてないけどね。 入園式のときの写真はこちら |
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5 | うちがあったところはどでかいビルが建っていた。 写真真ん中あたり,トラックが停まっているあたりに路地があって,その奥のつきあたりが我が家だった(はず)。 なんの面影も残ってない。 |
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6 | と,思ったけど,上の写真の左側の路地を入ってすぐのところには,昔からある木造建築が残っていた。 さすがに人は住んでない様子。 こんな家に住みたい。 |
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7 | すでに数十年前に「虎ノ門3丁目」と地名は変わっているが,旧地名もまれに見かけることができる。 虎ノ門3丁目なんて地名は,きわめて事務的で面白くもなんともない。 また元に戻してほしい。 |
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8 | うちの裏手にあった魚屋。 シャッターは閉まってるけど,ここはまだ現役で営業してるはず。 ここのお兄ちゃん(当時)に,なんかの人形をもらった記憶がある。 |
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9 | うちの裏手の道。 とてつもなく閑散としている。 桜田通り(国道1号)の一本裏手なのに,人の気配がまるでしない。 ゴーストタウン! |
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10 | 雰囲気のある木造建築。 奥に見えるビルより,だんぜんカッコイイ。 |
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11 | 木造建築4連弾。 右の家は廃屋だった。 右から2軒目は不動産仲介屋,右から3軒目は印刷屋。 もちろん現役! |
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12 | 上の写真の廃屋と不動産屋の間の路地。 すいこまれそうになる。 オレが子どもの頃から,この独特の空気は変わることないのではないか。 懐かしいなんて言葉で言い表せない不思議な感情におそわれる。 |
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13 | 愛宕トンネル手前の住宅。 真ん中のマンションのあたりに,家族ぐるみで付き合いをしていたイソベさんの家があったと思う。 その隣に駄菓子屋があって,そこのズルい婆に100円をだましとられた記憶がある。 あのババァめ! |
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14 | 愛宕トンネル。 子どものころ,一人でこのトンネルを通りぬけることができなかった。 トンネルの向こうは別の世界のような怖さがあった。 放送博物館の看板がかかっているあたりに兄貴と登って,イソベのおばさんに下から怒られた記憶がある。 |
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15 | 愛宕山の放送博物館。 よく知らないけど,日本で最初のラジオ放送局だったと思う。 放送関係の資料が常設してあって,けっこう面白い。 |
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16 | 愛宕山の愛宕神社。 愛宕山でよく遊んでいたけど,このお宮の記憶はあんまりない。 こんなの昔からあったっけなぁ…?? 子どもの頃,愛宕神社で撮った写真はこちら |
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17 | 愛宕山の男坂を上から見下ろす。 勾配がきついうえ,86段も石段がある。 スゴイね。 江戸時代,この男坂を 曲垣平九郎は馬で駆け上がった ってことばかり曽祖父は話してたらしい。 平九郎スゴイな。 |