rein
第一話◇眠り姫◇

頭の奥で、痛い音がする。
響くような、うずくような痛みが、全身を覆っている。
たまらない不快感。

その不快感故に、意識が、ゆっくりと浮上する。
「・・・・あ、」
息を吐くように出た音は、ひどくかすれていて咽の痛みまで訴えてきた。
開いたはずの目は、ぼんやりと霞がかっていて、うまく見えていない。
そんな自分の側で、何かが動く。
「ゞ仝〆〇/‖×÷≠℃¥%&#*@§☆★◎◇□△▲▽」
?なんの音だろう、判らない。
そう思っていると、口元に何かが差し込まれ、水が入ってくる。
飲み込もうとして咽せる。
ケホケホとせき込んでいると、頬を小さめの手が包み、唇に、柔らかいものが重なる。
そこから、ゆっくりと流し込まれてくる水を今度はゆっくりと飲み込んだ。
2,3度繰り返されたところで、ようやく落ち着く。
ほっとして、そのまま目を瞑ると、体の重さに引きずられるように意識がまた沈んでいってしまう。
「▼∈⊆⊇∪∩」
またあの音。
たぶん声。
意味は分からないけれど、その声音はひどく気持ちが良かった。
安心できる分だけ、自分を深い眠りに誘った。
『起きたら・・・もっとあの声を聞いていたい。』
そう思いながら、彼は、眠りの中に沈んでいった。


チチチ・・、ピピ・・・
五月蝿くさえずる小鳥の声に、すっきりと意識が覚めて行く。
ここは、どこなのだろうか。
薄暗い室内の中、目の前に広がる美しい文様は、見たことのない天井。
寝具に沈む体には、力がうまく入らない。
前に目覚めた時の不快感を後に引くように重かった。
『ここは・・・』
そう繰り返す思考に声が割って入る。
「∧¬∀∃⊇∋」
やはり判らない言葉だった。
でも、あの不快感の固まりの中で聞いたあの声だった。
「〓←〒※■」
これも判らない言葉。
でも、さっきとは少しイントネーションが違う気がする。
「◆◎●○◇◇」
もしかしたら、いろんな国の言葉で話しかけているのだろうか?
でも、判らない。
そう思いながら聞いているうちに、その言葉が耳に入った。
「おはよう。気分はどう?」
判る言葉だった。
慣れ親しんだイントネーションに、彼はゆっくりとその人へと顔を向けた。
自分の枕元に立っていたのは、12,3才の少年だった。
きれいな顔立ちにうす茶色の髪。
何処かで会ったことのあるような親近感。
「僕の言葉、判る?」
その問いに頷くだけで答えた。
「貴方は事故に巻き込まれて、怪我をしたんだ。
手当をするのに、ここにつれてきたんだけど・・・貴方の家に連絡を取りたいんだけど・・・・教えてくれる?」
「・・・・・」
何を答えればいいのだろうか、何も浮かんでこない。
「名前は?」
「なま・・え?」
少年は、今度は細かに聞いてきた。
「僕は、アレフ。Alefe・Rein・Rarvendol。
貴方は?なんと呼べばいいの?」
「お・・れ?」
自分の名前・・・それを考えたとき、自分の中に、その記憶がないことに気が付く。
自分の名前、住んでいたところ、自分が何者なのか。
何も思い出せない。
「あ・・・・」
「どうしたの?」
アレフが彼の顔を覗き込む。
どうしたらいいのか、なんと言っていいのか判らない。
そんな表情をアレフは読みとってくれた。
「・・・もしかして・・・名前とか・・・思い出せないの?」
その問いに彼は愕然としたまま頷いた。


客室から出てきたアレフを待つように、ドアの外には、黒服の男が控えていた。
「アレフ様・・・・」
「オウエン・・・。
彼の着ていた服・・・・持ち物を調べてみてくれないか?」
「失礼ながらすでに調べさせていただきました。
しかし、これと言って何も・・・・ああ、これは、名前かもしれませんが。」
そう言ってオウエンが差し出したのは、彼が着ていたウェアーだった。
どこかの指定なのか、ズボンの内側に、ネーム欄がある。
そこに書いてあったのは、東洋の文字。
さっきの『言葉』からも、彼は日本人だろうと思われた。
「ひ・・・むかう・・・でなんて読むんだろう・・・・・」
そう言ってアレフは、隣の部屋のパソコン端末に向かい、文字の検索を始める。
その画面は、ものすごいスピードで切り替わって行く。
そして、画面からその読みと発音が標示される。
「ひゅう・が・・」
アレフは画面を見つめながら黒服の男に指示を出す。
「オウエン、彼の身元を至急調べてくれ。」


出ていったアレフが、その手におぼんを運んでくる。
上に乗っている皿には湯気の上がったスープ。カットされた、果物やジュースが乗せられていた。
「日向さん・・・おなか空いたでしょう?食べれる?」
そう言われて、お盆が差し出される。
「?ひゅう・・が?」
「うん・・・着ていた服を調べてみたら、その名前が書いてあったんだ。
たぶん名前だと・・・そう思ったんだけど・・・嫌・・かな?」
アレフが、彼に向かって笑い掛ける。
「日向・・・・」
違和感はない。
「これ、貴方が着ていたんだ。他には手がかりが無くって・・・でも、大丈夫だからね。
すぐ調べるからね。」
そう言って、アレフは彼の手を握った。
「ごめん・・・迷惑を掛けて・・・」
「迷惑なんかじゃ無い・・・。」
アレフは本気でそう思った。
どこかでけたたましいサイレンが鳴り響いていた。 競技場、公園、オフィス街、ホテル。いろいろな物が、機能的に配置された新都心で、その光景は一種異様だったのかもしれない。 あふれ返る人々の群は、好奇心より不快感を募らせた。 自国から、逃れるように訪れた静養地である国で、この騒がしさが気に障ったのだ。 人々の群と同様に動かない車の列にいらだち、裏道を抜けるよう指示を出した。 大回りになろうが、その方がよっぽど安全で早いと思われたのだ。 細く、道は入り組んでいた。ともすれば、方向を見失いそうな中人通りはほとんどない。 そんな中、不意に車の前に現れたように見えた人影にブレーキは間に合わなかった。 ダン・・・と重い音ともにその人影は、壁に叩き付けられていた。 車のライトに照らし出された瞬間が、瞳の奥に焼き付いている。 あの一瞬から、自分は、この人に恋をしているのかもしれない。
「まずは体を治して。それからだよ。ね?
体が治れば、記憶も戻るかもしれないし・・・・ね。」
日向は、その言葉に頷いた。
まずは、体を治すことだった。
動けなくては何もできない。
「日向さん。」
アレフの声が、その名をささやくのが心地良い。
昔、これと同じ情景があったような気がした。
何一つ思い出せない不安の中で、アレフと言う存在だけが自分を支える存在になりそうだった。