
第二位聖天使、名をコジロー。通称 黒の聖天使。
黒の聖天使の降臨は、数日のうちに天界すべてに知れ渡った。
他の天界においてはただ異端視されていた者への驚きを与えていたが、ここ、東天界宮西辺境地区では、かつて無い不安を抱えた状態になっていた。
兵士達は城の一角から広がる怒気を含んだ重苦しい気配に、息を詰めるしか出来ない。元凶に意見出来るのは、この西の辺境では、数人しかいない。その数人ですら、元凶である者が本気になれば無力に等しいと皆が自覚していた。
「おやめください!どうか御静まり下さいケン様。」
ケンと呼ばれた天使の周りでは気体が渦を巻きその部屋の重力を何倍にも重くしていた。
時折、その重圧に耐えられなくなったかのように、物が音を立てて壊れて行く。
入室してきた補佐官や、将軍達、また、伝令の使者をつとめる兵士達は室内のあまりの有様に眉を顰めずにはいられなかった。
「・・・確認は取れたのか。」
伝令の使者は、冷たい目に射すくめられて、その場でガタガタと振るえ出す。
「は・・・はい。このたび降臨したのは間違いなく黒の聖天使様です。」
そう伝えた直後、いっそう重みを増した風が、その報告をした者をはじき飛ばす。
「ぅわぁぁ!!」
その光景を見かねた補佐官が他の将軍に目配せし、はじき飛ばされた天使を部屋から連れ出した。
「ケン様。お怒りの程は重々解っておりますが、これはフドウ様がお決めになられたこと、お諦めください。」
「諦める?」
殺意が、補佐官に突き刺さる。
これほど感情を露わにしたケンを補佐官は始めて見た。そして恐ろしくなる。
『黒の聖天使』と『白の幟天使』並び表されたその真意を。
補佐官が部屋を後にしてしばらくすると、異界と化した一角が、重い音と共に崩れ、そこから純白の羽を広げて飛び行くケン・ゼーラントの姿を見た。
城にいた兵士達は何事かと廊下や、中庭に出てきて騒然となっていたが、補佐官はただ黙って見送った。
願わくば彼に幸いあらん事を と祈りながら。

天空界の、稜々とした宮殿の広間に高位の天使達が集う。
その中央に東天界宮最高天使長フドウ・ミロクは穏やかに座していた。
西方に赴いていたはずの白の幟天使が東天界宮中央聖都に急に帰還したとき、宮殿内はざわめきを隠せなかった。
彼の黒の聖天使への執着は誰もが認めるところだったからだ。多くの者達が、黒の聖天使降臨を止めるよう大天使に進言したほどだった。
しかし、大天使フドウはそれを聞き入れず聖天使を降臨させた。
その真意を推し量れない者達は多く、皆、この会見を多々図を飲んで見守った。
「ケンよ、そなた西方での任務はどうした。」
「補佐官で十分!それよりも申し上げたき議があって急遽まかり越しました。」
ケン・ゼーラントの視線は、まっすぐに大天使フドウの元へと向けられた。
「どのような事かな?申してみよ。」
ケンは、穏やかに礼をとった。
「大天使フドウに申し上げる。階級セラフィムを持つ私、ケン・ゼーラントの階級を剥奪し、地上へ落としてください。」
その言葉に、広間はざわめいた。
ざわめく広間をフドウは手を挙げることで制す。
「その意味。解って言っているのだろうな」
「はい。」
「降臨の命は2つは無い。おまえは堕天使として、この天界を追放されることになるぞ」
「・・・解っています。」
フドウは、ため息を漏らした。
そして、ケンの生誕時を思い起こす。
この東天界では、大天使インドラと、大天使アスラの対立が表面化し、100年に及ぶ大戦が繰り広げられていた。
その戦いの最中、命の樹(ユグドラシル)は、二つの輝くような純白の繭をその枝につけた。
天使の繭は一般的に白を主体とし、淡い水色や、桃色を帯びていた。
まれに、黄、緑、赤、青、金、銀などの色を持つ繭が誕生していたが、これらから生まれた天使の多くは大天使長に上り詰める力を有し、他を圧倒していたので、この二つの繭も存在が知れると共に期待されていた。
ところが、聖戦が激化すると共に片方の繭に異変か起こった。純白に色が混ざり始めたのだ、誕生の時を迎える頃には、輝きはそのままに闇を集めたような色の繭へと変貌していた。
天界中に不安の声が挙がる。
敗北の色が濃くなったアスラ軍では、この繭を忌み嫌い、己達の敗北がこの繭のせいであるとまでささやかれ始めていた。
最終決戦の最中、戦火はユグドラシルの園に及び、いくつかの繭が産み月に満たず雲間に落ちていった。
そして、アスラ軍の兵士が、産み月に満ちたその闇色の繭に手をかけようとした時、繭は亀裂を生じながら光を生み出し、ユグドラシルを揺らした。
その揺れは、風を作り出し、周りにいた、アスラ軍、インドラ軍を吹き飛ばした。
どうにかその場に押しとどまれたのは、大天使二人と、フドウ他、数名だった。
闇色の繭から現れたのは、黒い翼と褐色の肌を持った子供だった。
これには、そこに居合わせた者すべてが青ざめ、恐怖した。
一兵士は、恐慌を来たし、子供に向かって刃を振り上げたくらいである。
フドウは、すぐさま残っていた者達にその者を拘束させたが、大天使アスラの行動を止めるだけの力は残されてはいなかった。
「インドラ様!アスラ様をお止めください!!」
呆然としたまま動かないインドラにフドウは檄を発した。
しかし、インドラの動きはぎこちない、激情に駆られたアスラを止めることなく、刃は振り下ろされる。
次の瞬間。
天より貫かれた光の柱が、アスラを直撃し、白き闇の穴に落としてしまった。
何が起こったのか。
ようやく思考を取り戻した者達はそこに、もう一つの純白の繭から生まれ出た白き羽の子供の存在に気付く。
白き子供は、先ほどから生まれ落ちたまま動かない黒き子供の元へと這って行く。
一生懸命に手を伸ばし求める姿を見つめながら、そこにいた者達は、第二聖戦の終わりを知った。
そう、生まれ落ちたその時からこの白き天使は、その傍らにあの黒き天使を求め続けていた。
「ケン・ゼーラントよ。その名のを持つものが、私の許しを恋う事はあるまい。
おまえは、決めたのだろう?己の心の指し示すままに行くがよい。」
大天使フドウ・ミロクは、腕を延ばし指し示した。
天界の花園。地上への門を。
門は、フドウの許しを待つように開いた。
ケンは、天使にあるまじき行動をとろうとする自分を許す大天使に深く礼を取る。
他の天使達は、この余りの事に大きくどよめいた。
天使が、天界を捨てる。それも、最高位である地位まで捨てて。
それ程までに何かを追いかけるなど。他の天使達には考えられないことだった。
出てゆこうとするケンにフドウが、最後に声を掛ける。
「全てを捨ててまで、追いかけるものは、おまえの手に入るのか?」
ケンは、その問には答えず。それでも、一瞬の笑みを浮かべて、扉を締めた。
そして。
ケンの姿は、美しい園へと熔けるように消えていった。
19××年・・・・天使達は降臨した。

