
「・・・・ごめん、日向さん」
「何おまえが謝ってるんだ?」
「だって・・・」
「気にすんなって」
「・・・・・・」
ここは、深い森の中。
見上げた絶壁の遙か上には、先ほどまで走っていた国道が見える。
アレフの調べた日向小次郎に関する事に、日向さんは始終だまったっまま聞いていた。
アレフは、たった一つのことを抜いては、正直に教えてあげたつもりだ。
このまま電話で、日本サッカー協会もしくは、東邦学園に連絡すれば、彼らはあわてて迎えに来るだろう。
そして・・・終わりだ。
日向さんは日本に帰り、アレフはまた、戦いの日々に戻る。
そんなアレフの心情を押しはかったのか、何か日向さん自身に思うところがあるのか。
日向さんがしてきた提案は意外な物だった。
アレフ達は、ドイツ、フランスを街道沿いに下り、日本へ向かうことにした。
その第一歩からこれである。
兄のトレーズが危惧した事態は、アレフが思ったよりも早く訪れた。
あの無能な長兄達は、こちらの方の才能には、長けていたと言うべきなのか・・・・
自分たちが起こした事を隠しもしない所がいかにも彼等らしい。
自分たちの権力を過信しているのだろう。
しかし、この事態はいかにも自分の落ち度だった。
彼等は、日向さんの存在で、アレフの動きが鈍ることを見越していた。
動きが鈍る分、アレフは監視を強め攻撃的に動いておくべきだったのかも知れない。
車が崖下に墜ちたことは、すぐにオウエンの耳に入るだろう。
オウエンを別行動でホテルや飛行場の手配をしに動かしていた事は幸いだったというのだろうか。
それとも・・・。
このまま墜ちた場所にいれば、事は簡単だが、そうは行かない。
今ここに向けて長兄達の手の物が、向かっているはずだ。
アレフを狙って。
「なぁ、アレフ。ここから動いた方がいいんじゃないのか?」
「・・・日向さん」
「そんな顔すんなって、おまえがずいぶんと大変な立場だって事は判るから、俺に気兼ねするな。」
「ごめんなさい・・・・」
「さぁ、アレフどっちに行けばいい?」
ドイツの奥深い森の中、木々の間を走り抜ける。
全力に近いスピードを出して雑木林を走り抜けていくとこんな状況だというのに心が躍る。
軽く右後ろにいるアレフを確認する。
アレフのスピードは、殆ど本気の小次郎のスピードに追いついていた。
息を乱すこと無く走ってゆく。
思わず小次郎の笑みは深くなる。この光景を小次郎は知っているような気がしていた。

崖下に放置された車に武装した男達が向かう。
ガシャリと手にした銃器を鳴らして周りを伺いながら。
しかし、目的地に目標であるアレフ達の姿を見つけることは出来なかった。
男達は、その場で雇い主に連絡を入れ指示を仰ぐ。
その向こうでは、忌々しげにわめき立てる声。
ここでアレフを取り逃がせば自分たちの立場が危うくなる。
その事ぐらいは、重々承知しているのだろうか。
二人を追いかけてプロの訓練を受けた物達が散った。
アレフは、目の前を走ってゆく小次郎の行動に目を見張った。
日向さんは状況を的確に読み、近づく気配も地形も的確に読んでいる。
『この人と一緒にだったら・・・』
そんな、考えてはいけない憧憬がアレフの前にちらついた。
けれど、小次郎がこの世界に留まることはない。
どのくらい走っただろうか。
遠くからヘリの音が聞こえてくる。
ひとまず身を隠し辺りをうかがっていると、遠く撃ち合う音が聞こえてくる。
その音が消え、又ヘリの音が近くを旋回するのを待った。
そうしていると的確にヘリはアレフを見つけたようだ。
風の影響のない高さから、着地できそうな場所へと誘導される。
誘導に従った先にヘリは降り立ち、そこにオウエンが立っていた。
「・・・・・オウエン」
小次郎は、アレフの固い声にアレフへと視線を向けた。
アレフは、十分な距離を保ってオウエンに近づく。
「これは、おまえの本意か?」
氷のように冷たいひびきがある。
「・・・いいえ」
そう言ってオウエンは唇を噛みしめる。
アレフが、もう少しオウエンへと近づこうとしたとき、小次郎の目に、ライフルの反射が走った。
「アレフ!!」
小次郎の声に事態を察したアレフは片足を踏み出しオウエンは、アレフを庇うように動いて、銃口の先を撃つ。
2発の銃声音は重なり、一瞬の静寂が襲う。
倒れたのは、敵と・・・・
アレフの身体が横たわっている。
その光景が小次郎に大きな衝撃を与える。
『失う』という喪失感が一挙に押し寄せ、それまで、何も存在しなかった記憶があふれかえる。
「健!!」
今のスナイパーの腕は、なかなかだった。とっさにずらしたことで物の見事にこめかみをかすっている。
身体と、耳がショックでちょっと利かなくなってはいたが命な別状は無いようだ。
そんな馬鹿になった耳が小次郎の叫び声だけは拾ってくれた。
『ケン』・・と、アレフにとって一番聞きたくなかった名前。
それは滅びの呪文のように小次郎との生活の終わりを告げた。

