天使降臨
第四話◇天空の残光◇

夕闇が、赤い煉瓦で作られた町を赤く染めていた。
ヨーロッパでは、サッカークラブ自体が、選手専用の寮を持っているところも少なくない。
ここ西ドイツのバイエルンチームもその1つで、蔦の這う重厚な作りの赤煉瓦の寮は、落ち着いたたたずまいを見せている。
その内部も、華美になりすぎない程度のアンティークな調度品が備え付けられ、一室ごとにシャワールームを持ったワンルームマンションの形式を取っていた。
そんな一室が、カール・ハインツ・シュナイダーに与えられていた。
試合の後、そのままこちらに来てしまったが、すでに部屋の一角には、荷物が2,3個の段ボールに入れられ届いていた。

今日行われた日本との戦いは、ハンブルグチームでの最後の一戦だった。
日本チームが到着したあの日、シュナイダーは、久しぶりの日本チームメンバーを出迎えようとグラウンドへ向かった。
しかし、林を抜けてグラウンドに入ろうとした時、日本チームのゴールキーパー、若島津 健の存在に気が付いた。 
3年前、2年前には気付かなかったのに、1年半前に目覚めた天界の記憶が、彼「若島津 健」が、自分の知る幟天使で在ることを気付かせた。

幟天使・ケン・ゼーラント・・・・東天界最強の力を持つ天使だったはずだ。
彼が、東天界からの降臨者だったのかと言う驚きと共に、彼の力が目覚めれば、また1つこの降臨の謎が解ると思っていた。
けれど・・・・。

自分の中に、人として父と母に囲まれて育った記憶とは別の白い世界の記憶が1年半前のヘフナーとの出会いによって甦った。
甦ったと同時に、それは、あり得ぬはずの事であることにも気付かされる。
降臨者の記憶と使命に関する理。
『降臨者の記憶と力は封印され、死によってのみ解かれる』それは、天地共同の理だったはずだ。
それなのに・・・
シュナイダーの記憶を呼び覚ますきっかけとなった存在は、自分の存在について何も知らなかった。
些細な事件が、力を目覚めさせ、己の真の名を知ることになるのだと言った。
同じような同胞が各地に人間として生まれているようだ、と。
魔族は、魔界での生を引き継いだりはしない。力と名を持ってそこに突然現れるのだという。
それ故に一抹の違和感。
<何故、記憶と力が戻ったのか>
すべてが特例ばかりのこの降臨に決定的な疑いを持ったのは彼と出会ったからだ。
魔の力を持つ人間が、降臨と時期を同じくして地上に誕生する。
その意味は?

そうしてようやく認めた現実には、すでに赤いシグナル。
どうやら、現在は有史に無い程の異常事態らしい。

解けない疑問が、メビウスのループになって巡っている状況にイライラしながらシュナイダーは、手近にあった水代わりのワインを一気に飲み干し、新たに継ぎ足しては飲み干した。
幾度も唇を噛み締めては離す事を繰り返しながら一時をおいて決心したようにその唇をほどいた。
「グスタフ・・・・」
小さな声が、静かな室内にそれなりに響いたが、何の変化も起きない。
シュナイダーは、大きく呼吸し、今度は、はっきりと呪文のように長い名前を口にした。
「グスタフ・ベイル・ガル・アスモデウス!!」
叫んだ言葉の余韻が終わるか終わらぬかといううちに、室内の空間がぐにゃりと歪み、誰も居なかった空間に人が現れる。

何かに呼ばれたような気がした。
そう思った次の瞬間には、引き込まれるように空間が歪んだ。そして気付いた先には、ベットに腰掛けワインを呷っているシュナイダーが居た。
「・・・おい・・」
思い切り不機嫌な声が、げんなりとしたイントネーションでと響く。
それもそのはずである。
『グスタフ』と呼ばれ、そこに引きずり出された少年は、昨夜、健に紹介したバイエルンFCのゴールキーパー、グスタフ・ヘフナーだった。
彼は頭から足の先までずぶぬれの、素っ裸で、それこそ、髪にも、身体にも石鹸の泡の残る状態だったのである。
どう見ても入浴中の突然の呼び出しだった。
その姿をじっくりと見据えてしまったシュナイダーはようやく状況を認識したようである。
「ああ、バスタイムだったのか。シャワールームは、そっちだ。使うか?」
納得しただけで悪びれる様子もないシュナイダーに呼びつけられたヘフナーは大きくため息を付いた。
さすがは『光の権皇』・・・皇帝サマである。
「カール・・・強制呼び出しは時と場所を選んでくれ・・・・頼むから。」
無駄だとは思いながら一言は言っておく。
「・・・・気を付ける。」
シュナイダーにしては、ずいぶん素直な態度だったので、気になったが、ともかくこの格好はいただけない。
「シャワー借りるぞ。」
ヘフナーは、そう言うと、くるりときびすを返し、ドアの奥に消えた。
しばらくすると水の流れる音が立ち始める。
その水音を聞きながら、シュナイダーは自分の記憶の中から、ケン・ゼーラントと共に日本ユースチームにいたもう一人の天使について考えてみる。
東天界宮の出身で在ることは、確かだろう。しかし何故、同じ天界宮から二人の降臨者が居るのだろう?
考えられることとすれば、一人は降臨者。もう一人は堕天者。
ならば、それはどちらが?

カチャ。
何時の間に水音が止んでいたのか、ヘフナーがバスローブを着て室内に戻ってきていた。
「それで?強制呼び出しで俺を呼びつけた理由はいったい何だったんだ?」
「・・・・」
シュナイダーは、グラスをもう一つ取り出すと、ワインをつぎ入れヘフナーへと渡す。
その行動だけで、何かがあったことが解る。
「何があった?」
「もう一人・・・・もう一人居たんだ。」
「降臨者が?」
「・・・・解らない。けれど、同世代で同地区に降臨者など居るはずが・・・」
「そうだな。おまえが前に説明してくれたようなシステムで、降臨が行われたのならな。しかし、今回は尋常じゃないと言っているのはおまえだろう?」
ヘフナーは、じっと自分を見つめるシュナイダーの頼りなげな瞳に、苦笑いが登ってしまった。
「おまえ・・・気にしすぎだ。」
シュナイダーの頭を抱えるようにふれて、自分も隣へと腰掛ける。
「本来なら、だれが降臨者であろうと、転生者であろうと、俺達には関係ない。今、俺達は人として生きるためにここに居るんだからな。そうだろう?」
「・・・・」
シュナイダーは、納得しない。
ヘフナーは、そんな融通の利か無さが、天界の者なのだと思えた。
「それでは聴くが、そのもう一人は、記憶が戻っていたのか?」
「判らない・・・記憶にない天使だったからな。気付いたの自体、彼のオーラに、微妙な力が混じっていたからだったんだ。」
「そのもう一人って誰だ?」
「日向 小次郎。・・・・日本のセンターフォワードだ。」
「センターフォワード・・・・ね。大会でぶつかる事が在れば問題だが・・・」
「健の場合、ゴールキーパーだったから覚醒をせかすようなことをしたが・・・それもしてはいけない事だったかもしれない。」
今日、力の限りボールを蹴り込んだ手応えが不安を増大させる。
思った以上に自分の気のコントロールが効かなかったのだ。
それは、小次郎とぶつかったときの衝撃にも見受けられた。
シュナイダーがヘフナーと出会ったとき、コントロールの効かない自分の力を暴走させてしまったことがあった。
しかしそれは、ヘフナーが闇に属していたために大きな事にはならなかった。
「大丈夫。その時には俺が居る。来週からはチームメイトだからな。」
「ああ、」
シュナイダーの重みがかかってきたことからヘフナーは、彼を抱きしめて、ベットへと倒れ込んだ。

二人が共にいる利点は、エネルギーの相殺が出来ることに気付いたからだった。
他の降臨者達が、どうしているのかは知らないが、シュナイダーの持つ、強すぎる光の力は、もはやどうやっても人の地に影響を与える状態だった。

シュナイダーは、じっと目を閉じて、ヘフナーを感じていた。
そうするととてもわかりやすく、エネルギーの流れがとらえられる。
自らが、同化してゆくような安心感に呟きが漏れる。
「それでも・・・、彼らが、本戦にまで残ってきてくれることを祈って良いだろうか。」
ヘフナーは、頼りなげなシュナイダーを抱き寄せてこめかみに唇を触れさせる。
「そうだね・・・それでいいんだよ」


この年に入り、白き世界は慌ただしさを増した。
20年前の降臨以来である。

それはある日、ユグドラシルの軋みとともに流れた流麗な旋律が発端だった。
ほんの数分の事だったが、それは天界全てに聖戦の予言として流れた。
天界各地は一斉に闘いの準備を始め、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまった。

そんな中、他の天界宮の大天使長の何人かが、聖天界中央宮殿に集まっていた。
「私のところでは、先月・・・」
「こちらでは、3ヶ月ほど前になります。」
「・・・・それでは、7つのうち5つの封印が解けたことになります。」
礼堂に立つ彼らは、口々に、報告している。
この聖天界を統括する天使エル・エホバはその報告を静かに聞いていた。
うるさく喋っているのは、ケッァール・コ・アトル。
気にかけていた封印がつい先月解かれてしまったためか、少々頭に血が上っているようだ。
3ヶ月前だと言っているのは、ルグナ・バルト・オーディーン。
そしてそれらに答えて、補足しているのは、エル・エホバの書記官だ。
「残るは、この聖天界と・・・・東天界・・・ですね。」
「いいえ・・・東天界の封印も先日消えました。」
先触れもなく礼堂の扉が開き、そこには、東天界大天使長フドウ・ミロクが立っていた。
「フドウ・・・」
「東天界の封印も・・・やられたのか・・・」
その場が、絶望感に包まれる。
「それでは・・・残るは、この聖天界のみと言うことですか。」
「そうなります。」
7つの門の封印が解かれたとき、天界と魔界を隔てた障壁は消え、天魔界では、最後の聖戦が始まる。
その後・・・・おそらく天界も、魔界も消え失せることになるのだろう。
残る世界はたった一つ・・・人間達の世界。
それぞれの地に封印は存在していたが、封印は、いろいろな意味を持ち、様々な形を持っていた。
そして、封印を探ることは、天界では許されていなかった。
門の封印は、人の目覚めと、時に連動していると誰かが言った。
そして、天は、時の傍観者であった。

これは、元々一つだった世界がもう一度一つに戻ろうとしているだけなのかもしれない。
そのための最後の宴・・・・

「フドウ、報告はご苦労だった。この大変な時期におまえが直々にここに来た用件はそのことか?」
エルは、フドウがまだ何のために。聖天界中央に出向いたのかの用件を口にしていなかったことに話を戻した。
「いいえ・・・じつは降臨した者達のことで・・・」
「降臨者?どうかしたのか?」
「彼らの天界の記憶が戻っているようなのです。」
「何だって?!」
「まさか・・・」
「そんな・・・どうして・・・」
「原因は、たぶん今回の封印の解除。これによって、天の理事態が不安定になっているようです。そのため、双方の「力」も戻っている可能性があります。」
「聖天界からの降臨者は?」
「カール・ゼム・メタトロンだ」
「カール・・・やはり・・・」
「どうした?」
「こちらはコジロー・メル・ルシフェル」
「!!黒の聖天使か?!」
他の界を統べる天使達が眉間に皺を寄せる。
黒を嫌う天使達の当然の反応に気を止めることもなく、フドウは話し続ける。
「そして・・・ケン・グラン・ゼーラント。」
「ちょ・っ・・・・どういうことだ!!」
「フドウ殿!!一つの天界から二人の天使が降りているなど有ってはならない事ですぞ!!」
「命は、各界に一つのはずだ!!」
わめき立てる天使達の甲高い声にもフドウの態度は崩れない。
「・・・そう・・・一人は降臨・・・一人は堕天。」
「堕天?!堕天したのか。」
「そうか・・・なるほど。やはりこの白き天界に黒の翼を持つ者の存在など・・」
「勘違いしないでいただきたい。堕天したのはケンです。」
「そっ!!」
「そんな・・・白の織天使が?」
フドウは、もう一度視線をエル・エホバに向けた。
「その両名が、現在こちらに来ております。」
「聖天界に?!」
「・・・人の世は、便利になりました。こちらには、スポーツの遠征で訪れているはずです。」
エル・エホバは、控えていた書記官に、確認を促す。
「ああ、確かに。サッカーというスポーツが・・・・・えっ!!」
「どうしたのだ。」
「カール様も同じ競技を・・・いえ、それだけではありません。この大会には『人の王』が三人も出場しています。」
「どの地域の王だ?」
「西天界南方、東天界、そしてここ聖天界の三方です。」
王の存在に驚きを隠せない書記官達を制して、フドウは、一番の気がかりを口にする。
「王の存在はただの成り行き・・・問題は、『最後の封印』の地に覚醒した者が3人も居ると言うことです。」
「封印への影響が有ると?」
「・・・・覚悟はしておくべきでしょう。」

白い、白い、天空に光だけが降り注ぐ。
この世界は、すでに存在するための力を失っていた。
最後の力を地に放ち、今はただ陽炎のようにたたずんでいた。
『とうとうこの時が来たか・・・』
そんなつぶやきが彼らの胸に去来する。

時は来たれり

蒼き地球の地の誕生に生まれ
人の過ちとともに天魔に隔たれし者達
七人の王を持ってその封印を解かん

互いの存在意義を掲げマルスの統治を受けよ

其は最後の聖戦なり